《SMOKIN'の生い立ち》
「SMOKIN'」は、元々はウェス・モンゴメリーとウィントン・ケリーの名盤、
〈SMOKIN' AT
THE HALF NOTE〉から取ったバンド名で、
黒人のスラングで、「決めたぜ!」とか「ゴキゲン!」と言う意味があります。
1981年4月、つまり今から23年と8ヶ月前のことです。
コロンビア・レコードの「DENON・JAZZ」シリーズから発売が決まっていた
レコード、〈リビエラ〉の録音を終えて、プロデューサーから、
「何かバンド名を考えた方がいい」という提案がなされて、考え付いたのが
「SMOKIN'」の名前でした。
ちなみにLPのタイトル〈リビエラ〉とは、1曲目に収録されている
バーニー・ケッセル作の〈ON
THE RIVIERA〉からのものです。
この時のレコーディング・メンバーは太田寛二(p)、山口雄三(b)、
岡山和義(ds)、初山博(vib)でした。
現在とメンバーが大きく代わってはいても、当時から私の演奏する
音楽自体は全く変わらず、この作品「リビエラ」に於いても、
〈DONNA LEE〉や〈WHISPER
NOT〉などといった「ビ・バップ」を
中心としたコンセプションで構成されています。
また、熱川温泉に旅行した時に作曲した、その名もズバリ〈HOT
RIVER〉は、
私の作曲した中でもとりわけ「名曲」との呼び声高い作品となっています。
※この作品〈リビエラ〉は、すでに廃盤となっています。
《メンバーの変遷》
時の流れと共に、メンバーの移り変わりもありました。
ジャズ界に至ってはロックバンド等とは違って、メンバー各自が他のバンドにも
所属しているなどということは半ば当たり前で、SMOKIN'についても同様のことが
言えました。
他のバンドが忙しくなって去っていくことになったメンバーもいましたし、
音楽性がだんだん気に入らなくなって「首」にしたメンバーもいます。
とはいえ、ジャズバント゛の場合の「首」というのは、一般社会人に於ける
「リストラ」とは大きく異なり、しばらく経つとまた一緒に演奏したくなって
仕事を頼んだりするものなのです。
ピアニストについて言えば、太田寛二(p)から滝本博之(p)、
そして吉岡秀晃(p)と移り変わりました。
現在も参加している吉岡秀晃は在籍が最も長く、まさにSMOKIN'の「歴史」とも
いえるピアニストでしょう。
九州から上京後間もない1981年から、国分寺の同じアパートの私の2階に
住んで音楽を共に過ごしました。
しかし当時は太田寛二が抜けた後、滝本博之が在籍しており、
いきなりSMOKIN'のメンバーに入ることは出来ませんでしたが、
当時のSMOKIN'のメンバー同士の音楽的衝突があったのをきっかけに、
私がメンバーを一新することによって吉岡秀晃が入ることになります。

ベーシストについても、
山口雄三〜沼上励〜広瀬文彦〜松島憲明〜浅見嘉則〜池田潔〜稲垣護と代わり、
ドラマーについても、
岡山和義〜藤沢博延〜原大力〜高橋信之介〜太田耕平と代わりました。
「日本ジャズ名盤100選」に選ばれた〈ウェス・モンゴメリーに捧ぐ〉を収録した、
吉岡秀晃(p)広瀬文彦(b)岡山和義(ds)からなるメンバーは、
「SMOKIN'第二次黄金時代」と呼ぶにふさわしいかもしれません。
残念な事に、ベースの広瀬文彦さんは「小脳萎縮症」という難病を患い、
長い間の闘病の末に亡くなりました。
※この作品〈ウェス・モンゴメリーに捧ぐ〉は、LP、CD共、
すでに廃盤となっています。

吉岡秀晃はSMOKIN'と平行して自己のトリオでも活動を始め、
当時のSMOKIN'のメンバーをそっくり自分のトリオとしました。
メンバーは吉岡秀晃(p)、沼上励(b)、藤沢博延(ds)です。
この事は私にとって嬉しい事でした。
なぜなら、彼のバンドに参加すれば必然的に「SMOKIN'」になるので、
他のバンドで演奏するのと違ってかなり自由に演奏する事が出来るからです。
この編成のSMOKIN'でも長年演奏し、ツアーでも全国を回ったり、
レコーディングもしました。
※作品は〈ナタリー〉ですが、すでに廃盤となっています。
川崎にあるジャズハウス「ピアニシモ」のママはこの編成での演奏を
振り返って、「あの時の演奏が当店のベスト・ライブだった」と語りました。
1993年6月、私がハワイの〈ジャズギター・サミット〉を終えて成田空港から
自宅に電話した時に、ドラマー、藤沢博延さんが亡くなったという悲しい知らせを
聞きました。

SMOKIN'には管楽器奏者が度々客演しますが、岡淳(ts&fl)ほどSMOKIN'と
深くかかわりを持つサックス奏者はいません。
大学在学中から国分寺の「アレキサンダー」などのジャズクラブに出演中の
SMOKIN'に飛び入り参加していました。
彼のテナーを加えた〈フルハウス〉のようなサウンドのゴージャスな編成で、
六本木「サテンドール」や横浜「エアジン」などでしばしば演奏しました。
客で来ていた彼のお父様が、「うちの息子はプロとしてやっていけるのでしょうか?」と
真剣に私に聞いていました。
私が「さあどうでしょうか。。。生活は厳しいかもしれませんが、
幸せにはなれるかもしれません」と答えた事を今でも覚えています。
何しろ岡淳は一橋大学を優秀な成績で卒業していますから。。。
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| 宮之上貴昭(g)、岡淳(ts) |
DR.ロニー・スミスと |
彼にとって、とりわけ大きな思い出となっているのは、1988年インドの
ジャズ・フェスティバル「ジャズ・ヤトラ」に、日本代表としてSMOKIN'で
出演した事でしょう。
ニューデリー、ボンベイ、バンガロール、ゴア。
アメリカから参加したケニー・バロン(p)のグループや、
ケビン・ユーバンクス(g)のバンドの連中と、インド国中を
演奏で飛び回りました。
その後、オルガンのDR.ロニー・スミスを日本に招いて全国ツアーを
行った時にも彼に参加してもらいました。
今でこそ岡淳は、日本を代表するプレーヤーに成長して、
後進からも慕われていますが、SMOKIN'で得た多くの経験がここまで
彼を大きく成長させたのかもしれません。

SMOKIN'結成当時、レギュラーで毎月出演していたジャズクラブ、銀座「スウィング」。
その同じ場所で今月19日(日)に「SMOKIN'
LAST LIVE」を行い、
その長い歴史に幕を下ろすことになります。
この日は私の今までにリリースした全てのLPやCD、ポスターの展示も行うほか、
SMOKIN'に縁のある曲をたくさん演奏するつもりでいます。
この〈スモーキン・ラストライブ〉の模様は、
来春から放送になる「テレビみやのうえ」の〈DO
JAZZ〉でオンエアーされます。
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