8月17日(木)

私と稲垣護(b)、太田耕平(ds)とVodytakaこと日高君を乗せた
ユナイテッド・エアラインは
定刻をおよそ1時間遅れて成田を離陸。
およそ9時間のフライトで同日の午前10時に
サンフランシスコ国際空港に到着しました。

サンフランシスコ

空港からは、手配してあったSUV(大型の高級タクシー)に乗り込み、
フリーウェイを南下すること45分。
シリコンバレーでお馴染みの、IT企業のひしめく
テクノロジーの街San Joseに到着。

ディオンヌ・ワーウィックSan Joseは「サンノゼ」とアメリカ読みすることが多いけれど、
スペイン読みで「サンホセ」と発音することもあります。
思い出すのは、ディオンヌ・ワーウィックの懐かしいヒット作、
〈Do You Know The Way To The San Jose〉でしょう。
この歌詞では、ロサンゼルスから恋人の思い出を綴って
サンノゼまでドライブする情景が描かれていましたが、
ロサンゼルスからだと、フリーウェイを飛ばしておよそ6時間かかります。
サンノゼから西に4、50分走って太平洋に出たところがサンタクルーズの街で、
さらにそこから1時間ほど南下すれば、ジャズフェスで有名なモンタレーです。

サンノゼの街を散策
ジャズフェスティバルのポスター

ダウンタウンのほぼ中心には公園があって、
それを取り巻くように街並みがあります。
そして道の真ん中を「Light Rail」と呼ばれる市電が
車や歩行者と共存して走っています。

午後12時半、私たちを乗せた車は滞在するホテル〈Hilton〉に到着。
街中にジャズフェスティバルのポスターが飾られ、
露店などのテントなども用意されていて、
準備が着々と行われている様子が伺えます。

サンノゼの街を散策
サンノゼの街を散策

ホテルのレストランで昼食を取り、
それぞれ街を散策したり部屋でくつろいだりして、
明日からのフェスティバルに備えました。

PAGE-UP

8月18日(金)

時差ボケもなく爽やかに目覚め、街を案内しました。

サンノゼの街を散策

私にとって4度目となるサンノゼで、しかも徒歩で30分もあれば周れてしまう
コンパクトなダウンタウンですから、街を案内することは簡単です。

2000年
2001年
2002年
2000年
2001年
2002年

主だったコンサートは土、日に集中するためか、
ジャズフェスティバル初日の金曜日は
たいしたバンドは出演していないように思えました。

私たちは腕慣らしのつもりで、
地元の会社社長などが作っているバンドが
主催するジャムセッションに参加することにしました。

もちろん彼らのほとんどはアマチュアですから、
演奏の質などは期待していませんでしたが、
それにしてもブルースや「ド」が付くスタンダードばかり。
私たちが演奏したいと申し出ても、なにしろ自分たちが演奏したいので
なかなか順番が回って来ません。
いささか辟易として、もう帰ろうかなと思ってところで呼び出されました。

CEO JAM

わたしたちジャパニーズを全員ステージに上げて、
ミュージシャンのほとんどは客席に引っ込みました。
一人だけピアニストがまだ弾き足りないらしくステージに残り、
勝手に〈So What〉のメロディを奏でています。
私の方を見て「何を演奏する?」と聞いたので
「何でもあなたの演奏したい曲をどうぞ」と言うと、
〈So What〉が演奏したい、と言い出しました。
もちろん了解です。
すかさずアップテンポでカウントを出して、
稲垣護(b)がテーマを奏でて演奏に入りました。
ピアニストは2コーラス目ですでにリズムや小節に
付いてくることができません。
結局のところいつものスーパー・ギタートリオのサウンドに終始し、
ピアニストはただ余分なだけでした。
この1曲でそれまでのんびりムードで、
酒を飲んで話していた客席は静まり返りました。
そう、日本人だからといって馬鹿にしてはいけません。(笑)

鳴り止まない拍手

さらにテンポを上げて〈Oleo〉をテーマにして短く終えて、
鳴り止まない拍手のうちに、明日の午後2時からここの同じ場所で
私たちのコンサートがあることを宣伝すると、
大勢の聴衆から「明日も必ず来る」という良い反応が返ってきました。
いよいよ明日は本番です。

PAGE-UP

8月19日(土)

朝からギターを取り出して、軽く練習しながら今日演奏する曲を決める。
そう、〈スーパー・ギタートリオ〉はレパートリーが多くて、
何の曲を演奏しようか迷うほどです。
与えられた本番の演奏時間は午後2時からおよそ1時間半。
もし私が聴衆だとすると、ギタートリオを1ステージで集中して聴くには
いささか長すぎる気がしました。
演奏を少し短めにして、1時間15分〜20分に抑えるのが
ベストだと感じました。

演奏の会場はとても雰囲気のある大きなシアター・バーで、
〈Smith Dobson Tribute Stage〉という名称が付けられています。

Smith Dobsonは西海岸一の名ピアニストでした。
地元サンノゼでの演奏活動はもちろんのこと、
ジャズ学校を設立して後進の指導に就いていたばかりではなく、
このフェスティバルにも大きく貢献しました。
ところが5年前に車の事故で、54歳の若さで亡くなりました。

モントレーでは何度も一緒になり、彼にシーフードのお店に連れて行ってもらって、
美味しいランチをご馳走になったこともあります。

Smith Dobson
2001年のSmith Dobson Tribute Stage

彼が奥さんと子供たちから成る「Dobson Family Band」で、
初めてモンタレー・ジャズフェスティバルに出演した時のことです。

奥様のボーカルと息子のヴァイブに娘のフルートという編成でした。
奥様が歌うと、その歌を気に入らないアメリカのシビアな客は、
曲の途中で席を立ち他の会場に移動してしまいます。
息子のソロになってSmith Dobsonが私の隣の席に来ました。
素晴らしい息子のプレイにお客さんが喜ぶと、
私の方を見て胸をなでおろしています。
「家族がちゃんと演奏できるかどうかハラハラドキドキなんだ。」と話してくれました。
こんなに素直で優しいSmith Dobsonでした。

さて演奏曲目は以下の通り決まりました。

◆ Equanimity
◆ On Green Dolphin Street
◆ No More Blues
◆ April In Paris
◆ The Sidewinder
◆ Sunset Street
◆ Caravan
◆ Miya No Way 〜 Oleo

スーパー・ギタートリオ

いつもの仲間、いつもの曲をいつも通りに演奏することが出来ました。

会場の様子

演奏が終わってみれば、聴衆のほとんどは立ち上がって拍手をしています。

思い起こせば4年前、同じく〈Caravan〉で大喝采を受けて
スタンディング・オベーションを受けました。
その時の思い出が強烈に頭の中にあって、
来る前は、今回もそうだったらいいなと思ったのは確かだったけど、
実際のところ、直前になると自分の練習や選曲などで、
スタンディング・オベーションのことなど
全く考えている余裕はありませんでした。

スタンディング・オベーション

総立ちの聴衆を見て驚いた私たちはステージをすぐには降りられず、
メンバー一同、客席に向かって深々と頭を下げました。
客席で見守っていた日高君も泣いているようです。
まさにミュージシャン冥利に尽きる、至福のひと時でした。

楽器を片付けている間にもいろいろなお客さんから
「とても良かった」と声をかけてくれました。
聴衆の中にはジャズフェスティバルの選考委員の人も来ていたようですので、
今回良い評判を得たので、また来年も出演できることを期待したいと思います。

さて、演奏が終わって少しあわてて会場を飛び出したのには訳があります。
そうです、楽友のD.R.ロニー・スミス(org)が
このフェスティバルのためにN.Y.から来ているのです。

3日間にわたり60のグループが昼から夜まで16の会場で演奏するのに、
何故か私のステージと全く同じ時間帯にメインステージで演奏しているのです。
ですから残念なのは彼の演奏を聴けなかったことです。

何とか彼に会いたくてメイン会場に出向くと、
フェンス越しに頭にターバンの黒人が見えます。
ロニーです。
演奏を終えたロニーが、ファンに囲まれています。
きっとこちらのステージでも白熱した演奏が繰り広げられたに違いありません。

1989年 全国ツアー
2004年 来日したDr.ロニー・スミスと

「Hey! Lonnie!」「Lonnie! It’s Miya!」と叫ぶと、ようやくこちらを振り向き、
フェンス越しに「Miya?? Yoshiaki Miyanoue??」と驚き入った様子。

2006年 サンノゼ
2006年 サンノゼ

ファンを差し置いての男同士のハグ。
どうしてミヤがここにいるのか?と聞かれ、
実は自分もサンノゼ・ジャズフェスティバルに呼ばれて、
ロニーと同じ時間帯に別のステージで演奏していたことなどを話すと、
何と奇遇なことか、と驚き入っていました。

ロニーとお別れして、皆はそれぞれ他のバンドを聴きに出かけていきましたが、
私は一人でホテルに帰りベッドで横になると、激しい脱力感を感じました。
脱力感といっても病的なものではなく、とても爽やかな疲れでした。
このまま私は眠りにつきました。

PAGE-UP

8月20日(日)

ジャズフェスティバルの会場

ジャズフェスティバル最後となる今日は、私も一日いろいろなバンドを聴いて
大いに楽しむことにしました。

Mercy Mercy Mercy太田耕平が「ミヤさん、ロイ・マッカーディ(ds)が出ますよ!」
と私に教えてくれました。
ロイ・マッカーディといえば、キャノンボール・アダレイ(as)の晩年の作品の
ほとんどを共演した名ドラマーで、
〈Mercy Mercy Mercy〉の演奏でお馴染みかもしれません。

彼とは以前私もL.A.で一度共演したことがあります。
早速彼が演奏する〈Jon Mayer Trio〉を聴きに行くことにしました。
会場は昨日の私たちの会場と同じです。

このJon Mayer(p)という人のプレイは初めて聴きますが、
60代半ばくらいでしょうか、白人のお爺ちゃんです。
しかしそのプレイはモダン・ビバップでスピードとセンスに溢れていました。
やはり60代半ばのRoy McCurdyは物凄いスピードとテクニックです。
加えて、こんなにビ・バップだったとは恐れ入りました。
太田耕平はドラムの至近距離の席で食い入るように見つめていました。
演奏が終わって彼に近づき、以前にL.A.で一緒に演奏したことなどを話すと、
しっかりと覚えていてくれました。
彼は南カリフォルニア大学で教鞭を取っているそうで、演奏と指導でかなり多忙。
このライブの後はL.A.に戻って、明日からNancy Wilsonのバンドのツアーだそうです。
かつてのジャズの達人は今なお健在、いえ、さらに進歩しているようです。

Roy McCurdy
Jon Mayer
Jeff Chambers Quintet
Roy McCurdy
Jon Mayer
Jeff Chambers Quintet

このライブの後は、また知り合いのJeff Chambers(b)がリーダーを務める
5人編成のバンドを聴きに行きたいと思いました。
場所はダウンタウンの東に位置する「Repertory Theatre」です。

2002年 Repertory Theatre
2002年 Repertory Theatre

このホールは4年前にスタンディング・オベーションを受けた会場だったので
とりわけ感慨深いものがありました。

Jeff Chambers嬉しいことに彼らもビ・バップの演奏が中心で、
〈Work Song〉からウェスの〈S.O.S〉まで飛び出しました。
Jeffの驚異的なテクニックもさることながら、
5人が一体となったアンサンブルが素晴らしかったです。

ステージを終えたJeff近づき、4年振りの再会を果たしました。

全部のステージを見たわけではありませんが、
先ほどの〈Jon Mayer Trio〉にしろ、
この〈Jeff Chambers Quintet〉にしろ、
聴衆はかなり盛り上がっているのに
総立ちになるような「スタンディング・オベーション」はありません。

ピアノは88鍵もあって、誰が弾いてもそこそこサウンドします。
Jeffのバンドは2管を加えた5人編成です。
ギターは弦が6本張ってあるだけです。

数は関係ないでしょうけど。
ギターって楽器はしょぼく見られがちなのです。
いえね、嬉しかったので少し自慢しました。。。すいません。(笑)

会場を出るとおなかが空きました。
ホテルに戻り、1階にあるレストラン〈The City Grill〉で夕食です。
ディナーでは日本ではまず食べない「ステーキ」をいただくことにしました。
注文したのは〈リブ・アイ・ステーキ〉です。
味、ボリュームとも満点で、今まで食べたステーキのうちでも、
1位2位を争う、かなり上位にランクされる味でした。

あっ、個人的にはアメリカ牛の輸入は大賛成です。
出来るならカンサス・ビーフを。(笑)

美味しい夕食後は、稲垣護(b)がいつの間にか頼まれて、
急遽出演することになったという〈Hotel De Anza〉に行くことにしました。

稲垣護(b)

私が到着すると、すでに演奏は始まっていて、
客席には見慣れた仲間の顔がすでにいました。
トランペットのModesto Briseno率いる7ピースの大編成で、
仕掛けとかがたくさんあるアレンジが施された曲を、
稲垣は難なくこなしていました。
そこにはギターリストもいて、ギブソンの175を弾いていましたが、
どちらかというと白人系のアッチ系統のジャズでした。

Hotel De Anzaでの演奏
Hotel De Anzaでの演奏

サンノゼ最後の夜の記念に私も参加して〈スーパー・ギタートリオ〉だけで、
〈Two Bass Hit〉を演奏しました。
カウンターの酔客よりむしろバンドに受けていました。
その後に全員でブルースを演奏して、サンノゼ最後の演奏は幕を閉じました。

サンノゼの夜は昼間と打って変わって気温が下がり、
上着が一枚余分に必要です。
私たちは〈Hotel De Anza〉を後に、更け行くサンノゼの街を
歩いてホテルへと向かいますが、皆無口です。
肌寒さというよりむしろ爽やかな、そして名残惜しい思いを
それぞれ胸に秘めていたに違いありません。

PAGE-UP

8月21日(月)

ホテルからSUVに乗り込み、カリフォルニアの大地を一路サンフランシスコ空港へ。

baggage

空港到着後、私たちの乗り込む飛行機は、キャンセルを見込んで、
定員より多くの乗客を募ったために生じる、いわゆる「オーバーブック」のため、
この飛行機はキャンセルして、明日の飛行機に乗り換えてくれる乗客には
ビジネスクラスにアップグレードで、ホテル代や夕食代はもちろん、
さらに現金100ドルをくれるというもの。
4人で考えた末、「サンフランシスコにもう1泊しよう!」という結論に達し、
カウンターにその旨を伝えると、時すでに遅し。
必要なのは1人だけで、4人は要らないという。
しかたなくあきらめて、予定時間を30分ほど遅れてUA853便は成田へ向け離陸。

PAGE-UP

8月22日(火)

午後4時30分 成田到着。
高速の渋滞にはまり、誰しもがサンノゼに戻りたいと思いました。

最後になりましたが、金倉さん(ピロ@サンノゼさん)と奥様の佐知子さん(Qちゃん)
いろいろとお世話になりました。
あなたがたの熱烈なPushによって私たちはサンノゼ・ジャズフェスティバルに
出演することが出来ました。
そして本当に素晴らしい時間を持つことが出来ました。
美味しいイタリアンと、奥様手作りのおにぎりの味は、メンバー一同忘れません。

美味しいイタリアン
手作りのおにぎり

また来年サンノゼでお会いできることを楽しみにしています。
ありがとうございました。

宮之上貴昭

PAGE-UP