ハワイ報告 \

6月27日(火) 大事件発生!!

朝6時30分、今日帰国の途に着くUZ君を見送りした。
空港に向かうシャトルバスがUZ君をピックアップするためにホテルに迎えに来た。

仕事の休暇をとって私たちに同行したUZ君でしたが、
これ以上休むと会社から「一生休暇してもいいよ〜〜」と言われるかも知れないので、
もっといたい気持ちを抑えつつ「いいな〜まだいるんだね。。。」の言葉を残して
バスに乗り込みました。
その後姿はとても寂しそうでした。

まだ早朝ということもあったので、彼を見送ると部屋に戻ってもう一眠りすることにしました。
ハワイ来る前からずっと風邪を引きずっていた私は、連続した咳が止まらないのも事実でした。

ベッドに横になると大変なことになりました。
左耳に今までに経験したことのない激痛が走ったのです。
手で押さえても、反対の耳を下にして横になっても痛みは取れません。
これは風邪の後遺症で、咳から耳に来たに違いないと感じました。
それにしても痛い。
大昔、小学校の頃に一度だけ、プールで泳いだ後に耳に水が入ったのを放っておいて
内耳炎になったことを思い出しました。
その時に痛みはとっくに忘れていますが、きっとこっちの方が痛いと思います。
どうしようもないので仕方なく我慢していると、午後になって痛みは少しずつ遠のいてきました。
でも左耳には水が入っているような、何か物が詰まっているような、そんな違和感はずっと続いています。

とはいえ、今夜はミュージシャン・アソシエーションの中にある〈Studio6〉で行われる
私のコンサートです。
場所が場所だけに、音楽ファンやジャズ通はもとより、音楽関係者も大勢集まります。
私もとりわけモチベーションを高めてコンサートに向ける必要がありました。

早速ギターを取り出してチューニングをしようとしたその時、
全く楽器の音程が合わないことに気が付きました。
フレーズやコードを弾いても、全くサウンドしない、つまり音程がぐちゃぐちゃなのです。

一体どうしたことでしょう。。。

ハワイ島で飛行機に乗せた時に、ケースを投げられてブリッジが大きくずれてしまったようです。
ギターの本体を良くチェックしましたが、どこにも損傷は見当たらないのでほっとしました。

ギターケース

しかしおかしいな。。。
私のギターケースはこのギター専用に作ったカナダの〈カールトン社〉製。
象が踏んでも壊れないという世界一丈夫なこのケースなら、
たとえ投げられても音程など狂うはずがありません。

とりあえずは、音程をつかさどるブリッジがずれていると思い、
調整することにしました。

あれ??!!
ブリッジはいつもの位置にしっかり固定されています。

1本の弦を押さえて弾いてみると、何と!!!!
((((((;゜Д゜))))))ガクガクブルブル((((((;゜Д゜))))))ガクガクブルブル((((((;゜Д゜))))))

何と、右耳はド(C)左耳はシ(B)と聴こえます。((((((;゜Д゜))))))ガクガクブルブル
何じゃこれは!!((((((;゜Д゜))))))ガクガクブルブル

そう、片方ずつ音程が異なって聴こえてしまうのです。
悪いのはブリッジなどではなく、私の耳そのものだったのです。

考えてみれば、風邪を引きずって咳が止まらないまま飛行機に乗って、
成田からホノルル、ホノルルからハワイ島と飛行機で昇り降りし、
ハワイ島では標高2.800メートルのマウナケア山中腹まで登り、
またハワイ島からホノルルに飛行機で昇り降り。
おまけに、ホテルの24階の部屋までエレベーターで昇り降りを繰り返していれば、
相当なダメージの蓄積が耳にかかったのでしょう。

私は神に助けを祈りました。

いずれにしても、このままではコンサートどころではありません。
自分の出している音が解からないのですから。

あわてて主催者の実穂子さんに連絡して、今夜のコンサートをどうするかについて相談しました。

先ずは医者に行って診てもらうことが最優先だと考えましたが、
ハワイで専門の耳鼻科を探すのも一苦労で、
保険に入っていなかったこともあって、探せたとしても法外な金額を要求されるばかりでなく、
耳がいきなり快方に向かうはずは無いと思いました。

私の名前のコンサートですから絶対にキャンセルすることは出来ませんので、
誰か他のミュージシャンにそばにいてもらって、演奏の補助をしてもらう案が出ました。
その案は、もう少しだけ時間をおいて耳の様子をみることにしました。
実際のところ、痛みは大分取れてきました。

仕方ありません、こうなれば他のミュージシャンの助けなど要りません。
「勘」で演奏します。

開き直って演奏会場に向かいました。
この時間になると、私の左耳はほとんど音が聴こえなくなりました。

スティーブ
初対面のドラマー

実穂子さんの画廊で共演したスティーブと、初対面のドラマー(名前を忘れました)
このギタートリオの編成で今夜のコンサートを行います。
ニューヨークでいつも演奏しているというこのドラマーも残念ながら
日本人のジャズマンを見下した様子で、「一緒に演奏してやる」という表情が見え見えでした。

簡単な音あわせをしてみましたが、左耳が聴こえないのがむしろ不幸中の幸いのようで、
自分がどんなフレーズを弾いているのか、右の耳で確認することが出来ますが、
それでもほとんどは「勘」で弾くしかないようです。

演奏に集中したい熱心なお客さんは早い時間から会場に来て真正面の特等席に陣取っています。
ワインやおつまみ持参でジャズを楽しもうとするお客さんもいます。
よく見ると、一昨日の〈ワード・ラフターズ〉にも来ていた同じ顔ぶれのファンです。

耳の障害のことは客にはもちろん、共演するミュージシャンにも話しません。
それは私のプロとしてのプライドが許しません。
今夜の演奏が耳のせいで思うように弾けないとしても、それはそれでいいと思いました。

開き直りの精神で演奏の開始となりました。

演奏の様子

〈April In Paris 〉〈Sunset Street 〉〈Love For Sale〉・・・・

いつも通りの選曲、いつも通りでリラックスして演奏しました。
ドラマーは最初の私を見る冷ややかな表情と打って変わって、真剣な表情となっていました。

演奏の様子

会場は鳴り止まぬ大きな拍手に包まれました。
コンサートは大盛況のようです。

演奏の様子
演奏の様子
演奏の様子

実穂子さんはもちろん、妻や静恵さんらも「素晴らしいコンサートだった」と言ってくれたので、
耳の障害は何とか大丈夫でほっとしました。
しかし同時に、なんだ左耳が聴こえなくてもあまり私の演奏に影響が無いのかと、
がっくりもしました。  ....(;_ _)/|ガックリ

演奏の様子
演奏の様子

かくして私にとって一大事の日でしたが、なんとか無事にコンサートを終えることが出来ました。

明日もまた素敵な〈ホノルル・クラブ〉でコンサート。
さてこの耳の状態でどんな演奏をするのでしょうか?

「ハワイ報告 ] 」を心配してお楽しみに。

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耳ご心配をおかけして申し訳ありません。
日本に帰って名医と言われている耳鼻科に直行して
つい最近まで通院していました。
診断の結果は「突発性難聴」だそうです。

原因はやはり風邪の咳と度重なる飛行機の離着陸によるダメージで、
左耳の鼓膜は小さな穴が開いてしまったそうです。
痛みが生じてから治療を受けるまでの時間が重要だそうで、
治療が遅いと一生耳が聴こえなくなるそうです。
帰国後およそ一週間で治療を受けたので何とか大丈夫なようです。
薬の効果でずいぶんと回復しましたが、左の耳の炎症は現在でも続いていて、
まだ少し聴こえ辛い状態です。
左目も炎症のせいでいつもハエが飛んでいるように見えますし、
左の鼻もずっと詰まっています。

とはいえ、それほど演奏には支障をきたしていませんのでどうぞご安心ください。
いえ待ってください、ひょっとしたら支障をきたしているのかもしれません。
間違ったフレーズを弾いてしまった時とか、リズムをはずした時など。。。
そうです、きっと「突発性難聴」の後遺症です、きっと。(*´艸`)

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ハワイ報告 ]

6月28日(水)

ハワイは今日もまた快晴。

朝起きると、左耳の痛みはなくなっていました。
しかし耳の中に水か空気が充満しているような感じで、
ほとんど聴こえていません。

今夜もハワイ最後の演奏となる大切なコンサートがあるので、
早い時間からギターを取り出して練習することにしました。

よく人から「宮之上さんは今までのキャリアがあるので、
練習などほとんどしないでいきなり本番に臨むんでしょ?」
などと言われることがあります。

もしそれを本気で言っているとしたら、大きな誤解です。
私は練習を毎日欠かさないようにしていますし、
ライブのある日はとりわけ集中的に練習するようにしています。

ピックを用いて演奏する場合と違い、指弾き、特に親指で演奏するので、
本番前にしっかり弾いて「指固め?」をしてコンディションを整える必要があるのです。
また、今日はどんな曲をどのように演奏するかというイメージ作りもこの時に考えます。
加えて、老化現象に伴うスピード感やテクニックの衰えにも対抗するためです。(笑)

きりきりぶらうんにて
親子共演

その昔、高校生だった娘の友達が家に遊びに来て、
いつも私が昼間家でギターを弾いている姿を見て一言。
「おじちゃん、仕事してないの??」
その娘にしてみれば、たいてい父親は昼間は働いているものと思っているに
違いありません。
しかもうちの娘は「これがお仕事なの」とフォローしてくれないので、
その友達は、私が働かずにギター弾いて遊んでいるものと思っていたのでしょう。(笑)

今夜出演する〈ホノルル・クラブ〉は、通常は会員制の「フィットネス・クラブ」として
営業している施設です。
毎週水曜日に、その中にあるレストランを一般に開放してジャズのライブが行われていて、
熱心なファンが大勢訪れて毎回賑わいを見せています。

実はここには、私を呼んで下さったミツ・ミヤシロ氏に連れられて
去年一度来たことがありました。
その時は素晴らしいサックス奏者に加え、
以前ハワイでコンサートを共にしたドラマーも出演していて、
私も飛び入りで何曲か演奏しました。

ハワイの真っ青な空がだんだんオレンジ色の夕焼けに染まる
美しい窓の外の光景を眺めながら、昨日演奏を共にしたベーシストとドラマーが来て、
セッティングをしてサウンドチェック。

Song For Wes
Touch Of Love
ジミー・ラブレイスと

ドラマーは昨夜の私の演奏をとても感動したと語ってくれました。
昨夜彼は、私の年齢や経歴をほとんど知らないまま同じステージに立ちましたので、
私の最初のリーダー・アルバムのドラマーはフィリー・ジョー・ジョーンズということや、
オルガンのジミー・スミスがサイドメンとして私のレコードに参加していること、
また彼がニューヨークにいる頃に敬愛していたドラマー、ジミー・ラブレイスは、
日本に来ると真っ先に私との共演を望んで電話をかけてきたことなどを、
かなり自慢げに話すと彼の態度は一変し、私を少し尊敬の目で見つめるようになった。。。
ような気がしました。(笑)
それはさておき、彼はハワイのジャズ事情についても話してくれました。
土地柄でしょうか、テンポの速い曲はほとんど演奏しないそうです。
ハワイのジャズはやはりのんびりしているようです。

さてハワイ最後となるコンサートの始まりです。

私のライブには「ハワイ風のんびりジャズ」などありえません。
音楽をあまりにも「ビジネス」と捉えたくないのです。
ステージは早い曲やスローバラード、ブルースやボサノバと、
バラエティに富んだ構成になることによって聴衆を満足させることが出来るし、
それによって自分の心も満足出来ると思います。

演奏の様子

ハワイ限定の臨時トリオですから、演奏はやはりスタンダードが中心となりました。
曲が進むにつれて客は演奏とお酒で体が揺れてきて、楽しんでいる様子。
昨日に比べて耳の調子がいくらか回復した私は、
さらにリラックスして演奏することが出来ました。

ステージから見て右側の奥に懐かしい顔を発見しました。

バイロン・ヤスイ1990年、私がハワイ大学に招聘されて初めてハワイを訪れ、
〈ハワイ・ギターサミット〉で日本代表として演奏した時のベーシスト、
バイロン・ヤスイが客席にいます。
彼はハービー・ハンコック(p)をはじめとする
大勢の著名なミュージシャンとの共演の経歴があり、
現在ではハワイ大学の音楽の総監督も務め、
知らない人はいないほどの有名な人です。

是非とも演奏に参加してもらうことにしました。

〈Satin Doll〉そして〈Straight No Chaser〉
素晴らしい演奏に、聴衆は食い入るように聴き入っていました。
「近年は糖尿病を患っているし、おじいちゃんだから思うように弾けない」
と話してくれましたが、
その力強いベースワークは以前と変わらず、衰えなど全く感じさせませんでした。

演奏の様子

ハワイ限定の臨時トリオは、演奏を重ねることによって気心も知れてきて、
お互いの手の内を理解することが出来てきましたが、
リズムの乗りや感じ方が私と違うので、音楽的な意味で残念に思いました。
例えばドラムソロのロングソロの時などでも私は「イン・コーラス」で、
つまりちゃんと小節数を数えています。
しかし彼はドラムソロをフリーコーラスにして、ソロが終わりテーマに戻る時に
「ワン・ツー・スリー・フォー」と言って、「ここからテーマ」と提示するのです。

嫌いなんです、そういうの。

アマチュアのロックバンドぢゃあるまいし。
曲によってはフリーソロも有りでOKかもしれないけど、
基本はテンションを維持するためにも「イン・コーラス」でしょ。
素晴らしいテクニックとフィーリングを持ち合わせているドラマーなので、
ダメだよ、ジャズはハワイの風に押し流されたら。。。(笑)

とはいえ、飛び入りゲストコーナーもあって聴衆は大喜び。
かくして、ハワイのラストコンサートは大盛況のうちに幕を閉じました。

演奏を終えて

耳の痛みも完全に取れて、ハワイ滞在最後の明日は、
鵜飼恵子・ロバート夫婦の経営するお店〈Uncle BoBo's BBQ〉に行って来ます。

ハワイ報告最後の日記をお楽しみに!

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ハワイ報告 最終章

6月29日(木)

海亀と戯れる美しい海とキラウエア火山、マウナケア山での印象的な星空の観察。
雄大なハワイ島のバカンスを楽しみ、ホノルルでは連日のジャズコンサート。
耳の事件もあったりしたけど、ハワイのバカンスはいよいよ今日でおしまいです。

ハワイの風景
ハワイの風景
ハワイの風景
ハワイの風景
ジャズコンサート
ジャズコンサート
ジャズコンサート
ジャズコンサート

今日の予定は、先日会った鵜飼恵子・ロバート夫婦がオアフ島の郊外に出したというお店、
〈Uncle BoBo's BBQ〉に行くことにしました。

アラモアナ・ショッピングセンターでバスを乗り継いで一路北へ。
途中、観光名所のヌアヌ・パリの近くのロケーションの良い道を通って東海岸に出ました。
バスは道幅が狭くなってもさら海岸に沿ってのどかな光景をひた走ります。
さすがのオアフ島も、ここまで来ると観光客の姿はどこにも見当たりません。
どこか懐かしく、ここがオアフ島の本来の姿なのだろうな〜〜と、
思いにふけっていました。

「バスによっては、田舎の方に行くと停留所の名前をアナウンスしない」
という情報を聞いていましたけど、きちっとアナウンスが行われていて、
「ここで降りて」と言われた〈Swanzy’s beach park〉で無事下車。
ワイキキのホテルからちょうど1時間かかりました。
バス停の前に〈Uncle BoBo's BBQ〉が、目立たずにひっそりと営業していました。
http://unclebobos.com/

Uncle BoBo's BBQ
Beef Brisket Sandwich
Uncle BoBo's BBQ ポスター
Pork Shoulder Sandwich

鵜飼恵子は先日紹介した通り、日本にいた頃は私のCDのデザインや、
イベントのポスターなども積極的に手がけてくれて、
大切なファンクラブの重鎮として皆から親しまれていました。
そんな彼女がある日〈きりきりぶらうん〉にロバートを連れて来て、
「結婚して彼とハワイに住むの」と爆弾発言を聞かされた時、友人の誰もが驚きました。

今だから明かしますが、初めて会ったロバートの印象は
決して良いものではありませんでした。
これから妻になる人の友人に大勢会うというシチュエーションにもかかわらず、
服装はスネ毛丸出しの半ズボンで、「くわえタバコ」のまま握手を求めてきたことです。
ベースを演奏するというので、ステージに引っぱり出し、
かなり難しい曲を演奏させてハァハァ言わせたうえ、
「ケイコはみんなの人気者なのを知っているのか??」
「もし不幸にさせたらタダぢゃおかねーぞ!」と厳しく忠告しました。

鵜飼恵子
ロバート

たいていのアメリカ人は私のことを「Yoshiaki」とか「Miya」と呼びますが、
それ以来、ロバートは私のことをきちっと「みやのうえさん」と発音します。
今考えてみれば私って、なんて恐ろしく意地悪だったのでしょう。(笑)

私たちが〈Uncle BoBo〉の店内に足を踏み入れて厨房を覗くと、
額に大粒の汗をかいて一生懸命に働いているロバートの姿がありました。
満面の笑みを浮かべて「ミヤノウエサン、ウェルカム!」「チョットマッテテクダサイネ」
そこには以前のイメージのロバートはいませんでした。

小ぢんまりとしたお店ですが、手間ひまかけて作っているという自慢の「リブ」に加えて、
シェーブ・アイス(かき氷)も人気があるようで、
次から次へと客足の絶えることがないようです。
夫婦二人に加えてバイトも雇っていて、この日は3人で大忙しの様子でした。
こうして夫婦仲良く幸せそうに働いている様子を見ることが出来て、
本当に嬉しく思いました。

鵜飼恵子・ロバート夫婦

ロバートが私のためにビールを調達してくれて、
店の外のテーブルで自慢の料理をいただきました。
ビーフとポークのリブはスモークがしっかりとしていてくせがなく、
きちっと脂が抜けていてさっぱりとした味わいでした。
ロバート特製の手作りソースがこのリブの味を一段と引き立てていました。
特別に出してくれた白身魚のフライも、激辛ソースとマッチして美味でした。

こうして海を見ながら友人の店で美味しい料理に舌鼓を打ち、
のんびりとした時間を過ごすことは、最高の幸せを感じました。

帰りは夫婦がワイキキまで車で送ってくれることになりました。
お土産にリブまでいただき、何から何まですっかりお世話になってしまいました。

ハワイ最後となる今夜は、今回私をハワイに呼んでくださった実穂子さんと
二人の子供をホテルの部屋に招待して、ディナーをご馳走しようと思います。

実穂子さんのご家族と

早速買い出しに出発。
ワイキキの最もダイヤモンドヘッド側にある私たちのコンドミニアムから
徒歩でおよそ7、8分のところにあるスーパーマーケット〈Food Land〉が食料調達基地。

ハワイは物価が高いとはいえ、精肉や果物、野菜などは日本に比べれば
半額以下で手に入ります。
反対に高いのは需要の少ない魚介類です。
海老はハワイで養殖が盛んに行われているので安価ですが、
私が大好物のマグロは高い値段が付いています。
ここでは精肉とサーモンやマグロ、海老や野菜類を買い求めました。

場所柄もあって日本人観光客も多く見受けられ、カップヌードルや
レトルトカレーなどを買っていました。
本格的な料理を作ろうとしている人はそんなにはいないと思います。(笑)

マイ包丁

日本から持ってきた「マイ包丁」と調味料を味方にして〈蒸し鶏のバンバンジー〉や
〈海老チャーハン〉、〈若鶏とパプリカのオイスターソース炒め〉などの中華料理に加えて、
〈サーモンのガーリックソテー・クリームソース〉などのフレンチ、
さらには〈マグロのヅケ〉も完成。
〈Uncle BoBo's BBQ〉からお土産にいただいたビーフやポークの〈リブ〉も並べて
ゴージャスに食卓を飾り、美穂子さんたちを歓迎しました。
皆は料理の味をとても気に入ってくれたようで嬉しく思いました。

コンサートのことなどを振り返って話がはずみ、時の経つのも忘れてしまいました。

6月30日(土)早朝
タクシーでホノルル空港に向かい、およそ8時間のフライトで帰国の途に着きました。
7月1日(日)
成田に着いて空港の外に出たとたん、ムシムシとした重い空気に包まれました。
同じ暑さでも暑さの質が全く違う。
そうです、日本は梅雨の真っ只中なのでした。

私たちは皆同様に心の中で「ハワイに戻りたい」と思ったに違いありません。(笑)

いろいろな体験と思い出をいっぱい作ってハワイの旅から帰りました。

来年もこの時期にハワイでコンサートを行います。
皆さんも私と一緒に行きませんか?

クレーターとギタリスト

マハロ

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